小関ブログ

深まる混沌

今日もきつい夏空です。富士山はうっすら見えています。朝から気温がぐんぐん上がり、冷房なしではいられません。

連日長い時間エアコンの風に当たっているので、疲れます。特に頸肩のこりがひどく、今朝も朝風呂の後マッサージチェアーに座って少しだけほぐしてきました。

北京オリンピックが今日開幕ですねぇ。

オリンピックの競技にも関心は高いのですが、それよりも、自分の身を置いている日本社会で起きている先行き不安の増大の方が大きいので、イマイチ盛り上がりません。

今朝も、千葉県銚子市の市民病院が財政難によって休止を余儀なくされている中で、市民の不安と怒りが渦巻いている様子が報道されていましたが、結局弱者にしわ寄せがいく社会を基本的に改めなければ問題は解決しないことは明らかなような気がしています。

今、政府与党内で大きな政府か小さな政府かといった基本的な議論が置き去りにされ、財政再建か景気浮揚策かという話が飛び交い、選挙をにらんで“ばらまき待望論”まで出ているという報道があります。

日本政府は、これまで問題の先送りを得意とし、明確なビジョンを示すことなく曖昧(ファジー)な小手先の政策で唯々諾々とやってきましたが、ここへ来て、もうそれではすまない世界経済環境になっていることは誰の目にも明らかなのだと思うのです。

問題は、既に資本主義が崩壊し、超資本主義時代に入っており、世界中の富の集積が極端な形で進められ、ほんの一握りの人々が膨大な富を抱え込み、市場を操作し、世界の隅々にまで格差を広げているということのように見えるのは穿ったものの見方でしょうか。このことは、もはや一国経済のもとでは何ら解決策を導くことは出来ず、世界の指導者が共通の理解をもって英知を結集し、グローバル経済を制御可能なシステムを作る以外にはない。そう思うのです。

これはもはや、小手先の政策ではなく、新たな哲学若しくはフィロソフィーに基づく政治・経済理論が必要であるという思いがしてなりません。浅学非才な私にはどうすることも出来ませんが、世界の救世主となる論理が生まれることを切望したいと思っています。

今この瞬間にピーター・F・ドラッカー氏が生きていたらどんな論文を書いているのでしょう。無い物ねだりのようですが、是非読んでみたいものです。

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