小関ブログ

またまた、自己責任について

今日は曇りで、昨日午後からかなり強く風が吹いています。今晩からかなり気温が下がり、明日は真冬並みの気温になるという予報です。体調管理に万全を期さないと大変なことになりそうですねぇ。^^;
日本で起こっている「自己責任」の議論について欧米各国のメディアや政府関係者から日本政府に対する批判が高まっているという報道があります。民主主義国家の普通の感覚からすれば至極当然のことであると思われます。実際の負担金額までもが具体的に議論をされるようになってきている中で、政府や行政の関係者がこれらの批判を真剣に受け止めてほしいと思うのです。
この議論とは別に、人質被害者の方々に対する非難・中傷・嫌がらせが続いているようです。まさにこれは“いじめ”です。日本という国の国民性はこれほどまでにひどいのかと悲しくなります。
昨日も、家人が“電車の中で、大声で「人質を助けるのに20億もかかったんですって、全部税金なんだから本人たちに払わせるのは当然よねぇ」といっているおばさん軍団に出会ったという話をしていましたが、こういう人たちは、この問題を人ごととしてとらえ、国民全体の問題であるとは全く考えていないのだと思うのです。
この「自己責任」の議論を納めるためにも本人たちが出てきて話すべきだという意見もあるようですが、問題なのは、人質被害者個人の問題ではなく社会システムとしての「自己責任」の問題なのです。つまり、政府の邦人保護責任とその場合の費用を求償するシステムがないにかかわらず、情緒的な議論のもとで具体的に費用負担問題をあげて議論することが正しいのかということなのです。
今回の場合、人質被害者の自己責任を問うのであれば、民主主義国家である政府の邦人保護の責務とのバランスが求められます。

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