小関ブログ

喫煙権も認めて

今日は、曇り。今日から3月だというのに寒さはまだ続くようです。小田原地方は夜には雪が降るという予報になっています。
昨日の朝日新聞の社説を見てびっくりです。そこには「たばこ条約――ひと箱千円だっていい」という見出しで、愛煙家にとってはなんとも辛い話が書いてあります。
世界保健機関が主導した「たばこ規制枠組み条約」の話なのですが、日本もこれに批准したようです。既に国内法では、健康増進法があり、様々な規制が実行され、年々喫煙率は下がっているようです。条約が発効すると、この上さらに、たばこ産業の宣伝広告の禁止や、タバコの箱に書いてある健康被害を知らせる警告文の文字が大きくなるなどの制限が加わります。
今でも、喫煙場所は公共の場では外に締め出され、コーヒー専門店やレストランでは全面禁煙の店が増え、さらには、駅のホームからは喫煙場所が撤去されており、愛煙家は不当とも言える差別的な扱いを受けています。
確かに、タバコの副流煙によって周辺に健康被害を及ぼすということで嫌煙権を主張する考え方もわからないではないのですが、私も愛読している「バカの壁」の著者で高名な解剖学者でもある養老孟司氏は、氏も認めるヘビースモーカーで、「タバコの健康被害というが、タバコを吸わない人の肺でも真っ黒な人は沢山いる。解剖学者がいうのだから間違いない。タバコが健康被害の元だという科学的根拠はない。」という主張をしています。現に、タバコを吸わない人が肺ガンになっていることも事実です。私は、養老氏の主張を支持します。
私は、なにも、嫌煙権を否定しているつもりはありません。しかし、一定の節度やマナーを守って吸っている人には喫煙権も認めなければバランスがとれないと思うのです。確かに、ところかまわず吸い殻をポイ捨てしたり、人の迷惑を顧みずに雑踏で歩きタバコをしている人や禁煙場所でも堂々と吸っている人を見ると私も腹立たしく思います。それらの人は、厳しく糾弾されなければならないと思います。が、そのことと喫煙者を差別的に扱うのとは別の問題であろうと思うのです。
また、環境問題だという人もいますが、確かにそういう要素もあるのかもしれません。しかしです。環境というマクロ的な視点から見れば、喫煙を問題にするよりもっと遙かに優先しなければならない問題がたくさんあると思うのです。自分が嫌いだからという情緒的な動機だけで、極端に嫌煙権を主張し、わずかに残ったJRの喫煙車両の廃止を強要したり、今回のように「1箱1000円にしろ!」などという主張を展開するのは社会の公器である新聞としてはいささか問題があるのではないかという感想を禁じ得ません。
嫌煙権があるのなら、個人の嗜好として吸っている人の喫煙権も認め、真冬の寒風にさらされる場所や真夏の太陽に苛まれる場所ではなく、落ち着いて一服の満足を得られる喫煙場所が用意されてもいいのではないかと思うのは私だけではないと思うのです。

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