小関ブログ

“世界遺産”について一言

今日は、梅雨が明けたような青空です。日差しが痛いです。今日も暑くなりそうです。
昨日の建設産業史研究会の講演は、清水建設OBでユネスコの世界遺産検討委員をされている方が「世界遺産を訪ねて」というテーマで、アフガニスタンのバーミヤン遺跡に関する報告をされました。最初はあまり興味がなかったのですが、“世界遺産とは何だろう”と考えさせられました。
日本ユネスコ協会のホームページを見ると

世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から引き継がれた貴重なたからものです。世界遺産にはさまざまな国や地域に住む人びとが誇る文化財や自然環境などがあります。
なかには人類の残酷な歴史を刻むもの、また戦争や自然災害、環境汚染などにより危機にさらされているものも含まれています。それらは国際協力を通じた保護のもと、国境を越え今日に生きる世界のすべての人びとが共有し、次の世代に受け継いでいくべきものです。

とあります。趣旨はわかるのですが、実際に“世界遺産リスト”に登録された場合にどのようなメリットがあるのか、そして、具体的にどのような保護施策が採られるのかについては必ずしも明確ではありません。
実際、世界遺産登録を推進しようとしている人々の思惑も様々で、まじめに“人類の遺産”として残そうと考えている人もいれば、観光誘致を最優先に考え環境整備と称して周辺道路の整備や箱物の建設を目論んでいる為政者もいるわけで、本来の意義が活かされていないというのが現実のような気がしています。
昨日も講演後のディスカッションの中で、富士山の話が出ましたが、富士山が世界遺産リストに載らなかった理由が“ゴミとトイレ”であったことはあまりにも有名です。しかし、実際には、富士山は日本のゴミ(廃棄物)問題の縮図のような実態があり、国が本気でこの問題に取り組む意思のないことが問題なのだと思うのです。


この廃棄物問題は、日本だけの問題ではなく地球温暖化問題と同様に世界的な問題ではあるのですが、各国政府は、この問題を過小評価しているばかりで、この問題に関する解決策はどこにもないように思われます。
私の事務所でも、産業廃棄物処理業や一般廃棄物処理業の許可申請等の業務の依頼を受けるのですが、実際、最終処分場の確保が難しく、また、中間処分等でもリサイクル製品の販路が確保できずに計画倒れになることがしばしばです。
富士山に限らず、都市部に近い山間部へのゴミの不法投棄は目に余る実態があり、どこへ行っても“ゴミの山”が存在しているにもかかわらず、それらを処理できる施設は完全に不足しており、各種のリサイクル法が施行されても実際には昨日していないのが実態です。
“世界遺産”を残すための努力も必要であるとはわかりますが、それ以上に地球環境そのものを維持し、人類が未来永劫生存していくための基盤を作ることが急務なのではないでしょうか。
私はそう思います。

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