小関ブログ

ボスは必要か

今日は、乳白色の空ですが日差しはあります。朝から暑いです。
昨日は、霧の箱根を超えて三島まで行ってきました。箱根新道の途中からかなり霧が出て今したが、運転に支障はなく、通常の時間で往復できました。
昨日、“宮本新日行連会長が誕生し、いよいよ日行連組織の生まれ変わりの為の改革が動き始めました。”と、書きました。私は、この選挙で宮本会長実現のために精一杯の努力をしました。それは、彼の「決断力」と「親分肌な性格」が日行連改革にとって欠かせない要素だと考えたからです。

ボスは必要か
今日、「階層の終わり」を良く耳にする。ナンセンスである。あらゆる組織が、最高権威としてのボスの存在を必要とする。最終決定を行い、従う者をもつ者を必要とする。あらゆる組織が、遅かれ早かれ遭遇することになる全体の危機に際しては、組織の命運は明快な命令の有無によって決まる。
船が沈没しかかっているときに、船長は会議を開かない。命令する。船を救うためには、全員がその命令に従う。意見も参画も関係ない。危機にあっては、階層と服従が命綱である。
しかも、同じ組織が、ある時には議論を必要とし、ある時にはチームを必要とする。(P・F・ドラッカー「明日を支配するもの」第1章 P11.12)

「ボスは必要か」という問いかけは、確かに強権的なイメージを受けますが、ドラッカーの言っていることはまさに真理であると思います。


行政書士会と行政書士制度にとっての危機は、まさに目前にあります。
一つは、“行政書士バブル”と表現してもいいほどの行政書士人口の膨張です。団塊世代の公務員退職者の増大と法科大学院から輩出される多くの卒業生の大量入会が予想されます。そのことで行政書士界も一気に“大競争時代”に突入し、既存業務市場のさらなる確保と新たな市場の獲得が求められ、さらには競争の激化による職業倫理の荒廃や不良行政書士の他出というリスクを伴うことは必至です。
もう一つは、新たな21世紀型社会システム構築の流れに乗り遅れる危険があるということです。
これまで、20世紀型規制社会の中で複雑高度化する行政手続に対応するための法改正を求め、それなりの成果を上げてきましたが、2002年以降時代の流れは大きく変わり、その変化について行けずに全てが他士業の後追いのようになっている感が否めません。特に司法制度改革の中で行政書士はどのような立場に立つのか、また、これまでの法改正の意味やその強みを生かすためには何をするのかといった基本的な議論や戦略のないままここまで来てしまったような気がしています。新たな社会システムは、その形が見えてきた段階で参入を企図してもその段階ではもう手遅れなのです。
この2年間日行連のしなければならないことは山積しています。が、どれだけのスピードでそれらを処理していけるのかはわかりません。時代の流れが速ければ危機がすぐにやってきます。危機に直面したときにこそ“ボス”の存在が問われます。私は、宮本会長こそが、その“ボス”の役割を担える存在であると信じています。

明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker 上田 惇生
ダイヤモンド社 (1999/03)
売り上げランキング: 3453

最近の記事

  1. てんめい尽語
  2. てんめい尽語
  3. てんめい尽語
  4. てんめい尽語
  5. てんめい尽語
PAGE TOP