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2005.04.28

学ぶ心

今日の小田原は晴れ、しかも、暑くなりそうです。予報では夏日になるとのことでした。
今日は、午後から桃知利夫氏の「実験的勉強会」(?)に参加のため東京のサイボウズ本社研修室へお出かけです。あまり人数は多くなさそうなので、濃い話になりそうな予感がしています。まぁ、明日から連休なので、頑張ってきましょう。
「学ぼうとする心は、学ぶべき人物や事柄を次々に見つけ出す。」
これは、私の机の横に貼ってある今年のカレンダーに書いてある今月の標語なのですが、この「学ぼうとする心」を維持し続けていることの困難さを感じている今日この頃なのです。人間の怠惰な心は常に頭をもたげ、そちらに引き込もうとするので、これとの葛藤は大変です。
「学ぶ」と言うことは、与えられるものではなく、「この事柄を是非知りたい、確実に理解し、学び取りたい、しっかり体得したい。」という極めてポジティブな心と世の中に役立つために自分を高め、実力を身につけようとする向上心が必要になります。
この“学ぶ心”をもっていれば、単なる雑談がアイディアの宝庫になったり、日常の些細な事柄から何かのヒントを得たりすることが出来ますし、また、本に著されている著者の心の文脈がその行間から読み取れたりもするのだと思われます。
私達職業的専門家といわれる士業では、日々変わっていく情報や知識を咀嚼して常に最新の情報知識を仕事に生かしていかなければならないのですが、得てして業務慣れしてしてしまい、この“学ぶ心”をおざなりにしてしまいがちになります。また、さらには、専門的な業務知識だけではなく、人格を磨くための教養や社会を俯瞰できる大局的な視点も育てていかなければならないので、怠惰な心に打ち勝ち、“学ぶ心”を持ちつけたいと思う今日この頃なのです。

2005.04.27

解決策としてのIT化

今日の小田原は晴れ。風もなく穏やかです。
今朝、いつものWebサーチをしたところ、桃知さんの「店主戯言」に【ふと思うことありて蟻ひき返す】という文書があったので、読ませていただきました。

ふと思うことありて蟻ひき返す    橋 間石
                      (間の字は正しくは門の中に月)
忙しく動いている蟻が 突然ときびすを返す姿を見る
 まさしく「ふと思うことありて」のしぐさを そこに感じるのだが
 ほんとうに 蟻が「思う」のかどうかは じつはわからない
しかし 人間は その蟻のしぐさに 「ふと思うことありて」と思う
 それは 自らの思いを <他者>のしぐさに重ねあわせている
<他者>のしぐさから <他者>が思うことを思う 
 これが 人間の 思考方法であり
 私たちが行う コミュニケーションを 成り立たせているものだ

恥ずかしながら、私はこの句を初めて知ったわけですが、この句からIT化を解説してしまう桃知氏の感性のすばらしさに感じ入ってしまった。
“<他者>のしぐさから <他者>が思うことを思う”という姿勢は実に大事なことだと思うのです。それは、他者を思いやることに通じ、他者との共通理解を生み出す条件であるようにも思うのです。
しかし、氏も言っているように、この思考方法はフェイス ツー フェイス(F2F)が基本だが、事業者団体(彼の場合建設業協会のような組織を言っている)、つまり、行政書士会のようないつもF2Fが出来ない組織では、IT化が一つの解決手段となるということなのです。
現在では、マイクロソフトのMEssengerやlivedoorのスカイプのようにリアルタイムで、しかも無料で情報をやりとりできるサービスも開始されており、チャットによる電子会議やインターネットによるテレビ会議なども出来る環境がどんどん創られています。もちろん、イントラネットのようなグループウェアーによる情報共有も必要なわけですが、いずれにせよ、企業のように同じ器の中で働くことの出来ない組織にとっては、IT化は極めて有効なのです。
今、行政書士会では会長選挙が戦われています。候補者それぞれが、誰がなるにせよIT化の推進者として、また、改革を推し進める“チェンジ・リーダー”としての役割を担う責務があることを是非、理解していただきたいと思うのです。

2005.04.26

尼崎の大惨事

今朝の小田原は、雲が多いながら時たま日が差す天気です。午後からはにわか雨が降るという予報でした。
昨日起きたJR福知山線の事故は大惨事となっているようです。昨日から何度も繰り返しニュース映像を見ているのですが、何度見ても驚きの光景です。何が原因かはまだ解明されていませんが、マンション1階に見事に嵌り込んだ先頭車両、アメのようにひしゃげた2両目の車両は、想像を絶します。
助かった乗客が“地獄絵”を見たといっていましたが、まさにそういう世界であったことはその破壊のすさまじさからも想像に難くありません。事故に遭遇され、命を落とされた皆さんのご冥福を祈ると共に負傷された方々の一日も早い回復を願わずにはおられません。まさか、知り合いがいるとは思えませんが、大阪・兵庫にも友人知人が多くいるので、心配ではあります。
しかし、このところ、大量旅客輸送の業界はJALをはじめとする航空機業界といい、今回のJRといいなんだか緩みが出ているようです。これも市場競争の激化による利益優先主義の副産物なのかもしれません。が、しかし、大量の旅客の命を預かる業界が“安全”を軽視していたのではたまりません。今回の事故現場のATS(自動列車停止装置)は、旧国鉄時代のもので列車のスピードオーバーには対応していなかったそうです。何ともひどい話です。
今朝の日経の社説にも「惨事は安全最優先を忘れて起きた」という見出しで、「百年に一度であろうが千年に一度であろうが、事故が起これば、奪われた人命や傷つけられた身体は取り返しがつかない。命を預かる責任の重さを、鉄道事業者はもう一度確認してほしい。」と結んでいます。全く同感です。

2005.04.25

人望力について

今朝の小田原は、曇りで時々日が差します。明け方は雨が降ったのですが。
このところ「なぜ、この人の周りに人が集まるのか(人望力についての実感的研究)」という本にはまっています。自分に人望がないのはなぜか。などという深刻な気持ちではなく、何となく面白いので読んでいるのですが、いろいろ感じさせられる本ではあります。
目次を紹介してみます。
第1章 バランスのとれた「損得勘定」のセンスのある人に、人は集まる。・・・(正しい損得主義を断固支持する)
第2章 「カネがキレル」人に、人は集まる。・・・(金の貸し借り、その傾向と対策)
第3章 物事を肯定的に考えられる人に、人は集まる。・・・(ホメて伸ばそう他人の才能)
第4章 仕事場は人生にステージである。身体の動きはいいか、心意気はいいか・・・(なぜ演じるか、どう演じるか)
第5章 状況判断の狂わぬ人の周りに、人は集まる。・・・(状況判断にはセンスがいる)
第6章 なぜ、この人はかくもうっとおしいのだろうか・・・(人を遠ざけてしまう要因の小研究)
第7章 「貧乏くじを引く」器量のある人に、人は集まる。・・・(危機の時の行動で人間が見える)
第8章 酒席の楽しい人に、人は集まる。・・・(ここに人望有り<酒場編>)
第9章 小集団のリーダーが結構ツライ・・・(ここに人望有り<小集団のリーダー編>)
第10章 健気に闘ってきた人に、人は集まる。・・・(マイナスイメージも人間的魅力の含み資産)
第11章 こんなことでは真の人望は得られない。・・・(「社交人間」のつまらなさについて)
第12章 やっぱり、こんな人のもとに、人は集まる。・・・(世間通になるための25のファクター)
というものなのですが、書いてある内容は、結構“目から鱗”の部分があります。
特に、第12章にある【人望があって納得の25にファクター】は、自分を反省するのに役に立ちます。人望というのはあくまで他人の評価なので、結果がついてこなければいくら自分はこうやっているのに、とか、自分には人望があるはずだなどといってみたところで、それは自己満足にすぎないのだと思うのです。しかし、いつも、自分が人から慕われ、信頼されるためにはどうしたらよいのかを考えていることは大切なことなのだと言うことを考えさせられています。

2005.04.22

メルマガの有償発行

今日の小田原は曇り。ちょっと肌寒い陽気です。
今朝、Ozeki-Letter 98号を発信しました。このメルマガについては、今月に入って、これまで発信元に使っていたgyosei.or.jpのメールアカウントが、日行連の管理から(有)全行団へ移行したことに伴って、スパムメール対策が強化されたために、私が発信用に使っているMaill Magic2というソフトからの同報メールがスパムメールであると認識されてしまい、サーバーから拒否されてしまう事態になってしまいました。
仕方がないので、発信元のサーバーを当事務所のサーバーに移して何とか発信を続けてきましたが、受信先のサーバーがスパムメール対策を強化している中で、届かないメールが増えてきている状況です。そこで、この際、101号から有償のメルマガサイト(無償では広告がついてしまうため。)からの発信に切り替えることとしました。
これに伴い、これまで神奈川県行政書士会会員に限定して発信をしてきましたが、読者を限定するメルマガは禁止されていますので、広くこの尽語の読者の皆さんをはじめ行政書士制度に興味を持たれている方にも読んでいただけるように編集方針を変えることとしました。といっても、基本的なものは変えませんが、広い視野に立った情報提供を心がけていきたいと考えています。
現在マグマグのサイトに登録申請を行い審査中ですので、まだ登録は出来ませんが、とりあえず購読申込のページを作りました。2週間後には登録を開始できると思いますので、月500円(税別)の購読価格なのですが、行政書士制度に関わる有意義な情報提供をしていきたいと思いますので、是非お申し込みを頂きたいと思います。
尚、有償での発行開始は6月3日からということなので、100号発行後少しの間お休みさせていただきますのでご理解を賜りますようお願い申し上げます。

2005.04.21

場のマネジメント

今日の小田原は晴れ。風が少しありますが、まずまずの天気です。
昨日の“尽語”で、あらゆる組織がヒエラルキー思考から脱却し、ネットワーク型の思考に基づく組織への転換を迫られている。と、書きました。では、ネットワーク型思考に基づく組織とはどのような組織なのかを少し考えてみたいと思います。
このことを考えるときに参考にしているのが、P・F・ドラッカー氏の著書である「非営利組織の経営」と一橋大学伊丹教授の著した「場のマネジメント」論なのです。


“マネジメント(経営)”という言葉のイメージは、“ビジネス”を連想させるせいか、行政書士会という非営利組織の中で、“マネジメントが必要だ”と言うことを主張してもなかなか解ってもらえないのですが、ドラッカー氏が非営利組織の成果を生み出すためのマネジメントの必要性を説き、伊丹教授が、組織の中に“場”を生み、その“場”をマネジメントすることで成果を上げるという考え方を説いています。
「場のマネジメント」の基本的なメッセージは、
・経営とは、個人の行動を管理することではない、人々に協働を促すことである。
・適切な状況設定さえ出来れば、人々は協働を自然に始める。
・経営の役割は、その状況設定を行うこと。後は任せて大丈夫。(「場のマネジメント」,p5)
であるとし、
『こうして、行動、学習、意思決定、心理的エネルギー、この四つが人々が組織の中で行なっていること、発生させているものであり、その全体としての組織の協働があるのである。その組織の協働を経営はなんらかの形で統合しようとする。』
『その統御のために経営が直接的に働きかけられるのは、人々の意思決定と心理的エネルギーという「外からは見えない」部分だけである。彼らの事業行動と学習は、最終的には彼らに任されざるをえない。彼らが実行者だからである。したがって、この二つには直接的には働きかけられず、意思決定と心理的エネルギーを通して間接的にのみ働きかけられる。』(「場のマネジメント」,p34)
『「統御」とは、「促し、率い、舵取りをすること」、と考えればよい。経営とは、人々の協働を促し、率い、そして協働全体の舵取りをすることなのである。その統御のために、組織の中で起きるはずのことを上の人間が「すべて」計画し、デザインし、命令する必要はない。しかし、かといって、全くの混沌や自己組織化に組織を委ねてしまうことでもない。その中間のどこかに経営の本質がある。』
(「場のマネジメント」,p35)
これらのことを行政書士会という組織に置き換えて考えてみると、実にしっくりくることが解ります。つまり、組織を“上意下達”のヒエラルキー(階層)という風にイメージされてきたものを“協働作業の統御”を組織経営の中心に据えなければならないのです。
この本を読み進めていくと、ネットワーク型組織とは、組織の中に“場”という人々の間の情報相互作用の容れ物を作り、情報相互作用を行えるかなり自律性の高い人々によって、共通理解を生み出して協働によって成果を上げることの出来る組織。という理解が出来ます。

2005.04.20

“地を這って考える”

今日の小田原は雨。夕方からと言う予報だったはずなのにもう降っている。
今夜は業界の支部役員会です。来月の支部総会の段取りをしなければならないので、今日はその準備です。どうも付け焼き刃、押っつけ仕事になっているようです。
今週は、神奈川県行政書士会会長選挙の立候補受付が行われています。22日までなので、届出が出そろうのは22日の夕方になるでしょう。立候補しないことを決意したもののやっぱり気にはなりますですねぇ。
今回の会長選挙は、IT革命の進行と相まって情報化社会という新たな社会システムが次々に構築されている中で、特にその目玉である「電子政府」が稼働し始める年度に行われるという重大な意義のある選挙です。つまり、この選挙で会長に選任される人は、日々起こってくる変化に対応し、制度と会組織を時代にあった形で適正に運営するという重責を担わなければなりません。
つまり、これまでにあったような“名誉職”的な考えではとても対処できないことになります。今回立候補される方々がこの点をどう理解されているのかを是非知りたいものです。従来型の“勝てばいい”式の選挙にしてはならないと思うのです。立候補をしない私がこんな事を言うのは無責任だと思われる方もいることだと思います。しかし、だからこそ、声を大にして言っていかなければならないと考えています。
昨日もここで、仕事のやり方が変わっていることを書きました。それは、肉体労働の生産性を上げるために創られたヒエラルキー型社会から知的労働の生産性を上げることによって豊かさを追求する情報化社会への構造的変化であるということなのです。従って、この社会のあらゆる組織が、ヒエラルキー思考から脱却し、ネットワーク型の思考に基づく組織への転換を迫られています。そしてその転換に失敗した組織はもはや情報化社会の中では生き残ってはいけないことになります。
だからこそ、私達は、改革を推し進めていかなければならないのです。今、行政書士という制度にとって何が一番重要な課題なのか、問題はどこにあるのか、その解決策はどうしたら生まれるのかを“地を這って考える”ことが求められている。と、私は考えます。

2005.04.19

仕事の仕方

今日の小田原ははれています。昨夜遅くにものすごい雷雨がありましたが、通り雨だったようで30分ほどで止んでしまいました。
最近新聞の広告を見ていると「仕事力」「仕事術」などの言葉が目につきます。どうやら、仕事やり方そのものを変えていかなければならない時代に突入しているようです。
このことは、上意下達のヒエラルキー社会の中での仕事の仕方からネットワーク社会での仕事に仕方にシフトしなければならないということを言っているのであり、そのことは、発想の大転換をしなければならないということに繋がっていきます。
20世紀の工業化社会の中では、肉体労働の生産性を上げることによって豊かさを享受する社会を作り上げてきたので、上からの命令が合理的に伝わるヒエラルキー(階層)型の組織を社会の隅々にまで創ってきたのですが、情報化社会では、知識労働の生産性が社会を豊にする根源であると考えられているので、もはやヒエラルキー構造をもった社会では対応できなくなってきており、ネットワーク型の情報・知識を共有できる組織構造が求められているのだと理解しています。
ドラッカー氏も、その著書「ネクスト・ソサエティ」の中で、「IT革命とは、実際には知識革命である。諸々のプロセスのルーティン化を可能にしたものも機械ではなかった。コンピュータは道具であり、口火にすぎなかった。ソフトとは仕事の再編である。知識の適用、特に体系的分析による仕事の再編である。鍵はエレクトロニクスではない。認識科学である。」と書き、知識労働への仕事の再編を促しています。

2005.04.18

またまた反日デモについて

今日、月曜日の小田原はどんよりと曇っています。雨が落ちてくるような気配はないのですが、鬱陶しい限りです。 
今朝のテレビ報道も各局がこぞって中国における「反日デモ」を取り上げ、新聞各紙もそれぞれ一面で取り上げ、社説でも取り上げられています。この問題の根の深さを考えると軽々にものを言うことは適切ではなく、何とも割り切れないものを感じています。
なぜ、この時期に韓国や中国で「反日」が拡大し、竹島問題や尖閣諸島や東シナ海の天然ガス田開発問題などで厳しい対応を迫られる事態になっているのかがよく理解できないでいます。しかも、未だに中・韓両国の国民が「日帝」「日本軍国主義」の打倒をスローガン掲げてデモをやっている姿に何ともいえない違和感と嫌悪感を感じますし、石やペットボトル、たまごや汚物を投げつけ、破壊的な行動をしている画像を見ていると中国という国の危うさを感じずにはいられません。
戦後、日本は、戦争への反省から自国の交戦権を禁じた平和憲法の下で、一切の国際紛争にかかわらず、ひたすらODAなどを通じた国際貢献をしてきたわけで、現時点で、日本を軍国主義に戻そうなどという政治的な動きや好戦的な民族性を維持し続けているなどという認識はほとんどの国民にはなく、万が一、そのような動きがあったとしても、それは国民的なコンセンサスを得られないことは明白であると思うのです。
今回の中国における「反日デモ」の盛り上がりは、中国共産党による「愛国教育」が背景にあるとされています。まるで戦前の日本の軍国主義教育を彷彿とさせます。「教育」というものの重大さと「危険性」を改めて考えさせられています。「愛国教育」という名の下に日本の戦争犯罪だけを取り上げ、戦後の日本の姿や中国自身がこれまで多大な恩恵を受けてきたODAや円借款に関する情報は一切教えないという偏った教育がどれほどの弊害をもたらし、日中間の関係を不正常なものにしているかを中国の指導者は考えるべきだと思うのです。
確かに、日本の戦後の指導者も戦争によって蹂躙したアジアの国々に対して明確な謝罪を避けつづけ、戦争責任を曖昧にしてきた責任は大きいのかもしれません。しかし、国家間での戦後補償は決着済みのことであり、日本国民全体の思いは深く戦争を反省し、日本政府が行おうとする武力行使に対しては厳しくこれを抑止してきたのは事実であると思うのです。もちろん、日本国内にもいろいろな議論があり、歴史教育や領土問題など様々な問題で賛否両論があることは民主主義国家では当然のことですが、国民的なコンセンサスというレベルでは、良識が発揮される社会であると信じたいと思います。

2005.04.15

神奈川の共同運営システム

小田原は今日も穏やかな晴れです。でもそれほど暖かくはありませんです^^;
昨日は、横浜駅西口の神奈川県民活動サポートセンターで行われた神奈川建設専門行政書士協会(神奈川建行協)の春の研修会に参加をし、前半の「神奈川県市町村共同運営による入札参加資格認定申請」に関する説明のあと、後半で「経審虚偽申請防止ガイドライン」の説明をさせていただきました。
研修会前半で説明があった県と32市町村の共同運営による入札参加資格認定申請については、4月2日に当事務所でも研究会を行ったので、だいたいのことは解っていたのですが、改めて共同運営協議会から提供された申請データ入力用ソフトの粗雑さに驚かされました。県と32市町村の公共発注者どうしの思惑がぶつかり合い、なかなか纏まらない中での見切り発車であったことを伺わせるもので、どう見ても、利用者の立場に立ってソフト開発がなされたとは言い難いものです。
特にひどいと思うのは、今回オンラインによるシステム構築が間に合わず、FDによる申請になったのですが、データ入力後自動的にFDにデータが格納されるシステムはなく、自分のPC内に保存されたデータファイルをコピーしてFDに貼り付けるというお粗末な操作を強要しています。しかも、データファイルが保存されるフォルダーはCドライブ内に自動的生成されるので、エクスプローラを起動してそのフォルダーを開かなければならないのです。しかも、そのデータファイルは、kanagawaというフォルダーの中に出来ているsinnseiという名前のフォルダーの中に格納されるのです。この操作、慣れている人には何でもないことなのですが、慣れていない初心者にとっては大変なリスクを強要される操作なのです。
Cドライブはコンピュータを動かすOSや基本的なアプリケーションが格納されているドライブなので、初心者が開いてはならないフォルダーがたくさんあります。もし、自分がデータを保存した先が解らなくなってしまい、勝手に様々なフォルダーやその中にある重要なファイルを開いて何らかの誤操作をしてしまった場合取り返しのつかない事態に陥る可能性があります。非常に怖いことなのです。
他にも不備な点はたくさんあるのですが、ここでは書ききれないので、割愛しますが、このまま申請内容とPC操作に精通した行政書士が関与しない申請が沢山出た場合、かなりの混乱が生じるのではないかと思われます。
国交省と「一元受付」のオンライン申請では、そのアプリケーションが出来た当初から日行連が実証実験という形で関与し、様々な問題点を指摘しながら不具合の調整をしてきたので、かなり使い勝手がよくなっています。共同運営協議会が、なぜ利用者の立場に立ってこのような実証実験を行わなかったのかは知る由もありませんが、今回の申請を通じて問題点を記録し、行政書士の側が報告書としてそれをまとめ、次回以降実証実験を行うよう働きかける必要のあることを痛感して帰ってきました。

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