小関ブログ

今年の反省②

今日は休みに入って3日目(正確には、土曜日に大掃除をしたので2日目)。小田原は穏やかな晴です。

昨日は自宅の大掃除を手伝い、普段気になっていたTVの裏側や私専用のバールーム(喫煙室)、子供達のいなくなった彼らの部屋のロフトの上などを綺麗にしました。が、少々マニアックに攻めたせいか、昨日夕方からきつい腰痛に見舞われています。

今朝は、ベッドで起きあがることができず、9時過ぎまで寝てしまいました。なんとか年内に回復をしたいので、これを書いたらまた寝たいと思います。神経症状はないので、休めばなんとかなりそうです。

お約束の“今年の反省②”ですが、

今年初めに「今年のキーワードは“混沌”」と書きました。まさにその通り“混沌”とした一年だったように思います。初めのうちは、何がどうなってしまっているのかがよく解らないないまま、日々の事象に流され、思考停止の状態が続いたように思われ、やっと最近になって、色々な識者が書いている本を読んで今起きていることの本質がおぼろげながらも見えてきたような気がしています。

ずっと以前、小泉内閣ができるころから新古典資本主義の話しやら、ネオコン、新自由主義について書いてきましたが、新自由主義に基づくグローバル資本主義が、ついに破綻を来たし、混沌を生んでいるのだといる理解に至りました。

しかし、新自由主義に基づく小泉改革によって地域社会は弱体化し、労働の形態が変わり、“一億総中流”などといわれた時代は跡形もなく終わり、非正規社員の増加に伴って、人件費が固定費から変動費(製造コスト)に変わり、社会の価値観が大きく変わってしまいました。

この変化には抗することができないグローバル資本主義という力が働き、市場原理主義に基づく規制緩和は時代の流れであると思いこみ、その変化を無批判に受け入れてきたことが、間違いであったことが露呈した一年だのかもしれません。

もうそろそろ間違いに気付き、“改革”の名の下に行われた様々な規制緩和、制度改革をきちんと見直し、日本社会にあったシステムを真剣に考える時期に来たように思うのです。私は、“改革”そのものに反対する立場にはありません。ただ、真に「改革」と言うためには、みんなが幸せに安心して暮らせる社会にしていくための成果が求められているはずです。

今起こっている医療、社会保障、労働の問題など、どれをとっても庶民の暮らしに直結するところで環境が劣化し、ワーキングプアなどでどんどん不幸になっている社会にした「小泉改革」は改革の名に値しないものだと言うことをもっと早く気付くべきだったのかもしれません。

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