小関ブログ

餓死や孤独死は福祉行政の貧困の犠牲?!!

昨日の雨は午後には止み、今日は晴の朝です。気温もさほど低くありません。

このところ社会現象のように都会での餓死や孤独死が頻繁にニュースになっています。

現在の日本の世相を反映しているとは思えませんが、やっぱりどこかでいびつになっているような気がします。

基本的には、福祉行政のシステムの中で解決できるはずの問題だと思うのですが、生活保護の担当者の申請をなるべく受け取らないなどの冷酷な対応や行政機関が社会的に孤立している家庭に対する目配りができていないことの反映だと思えてなりません。

昨日ニュースになった母子の例では、母親がくも膜下出血で倒れて死亡してしまい、残された4歳の子供に障害があり、食事がとれないまま衰弱死をしたという悲惨なものでした。

まさに弱者だるこのような人々に人間として生きることのできる最低限の生存権を保証するする社会であるはずの日本でこのようなことが起こっている事実には何ともやるせない思いを感じます。

政府は、「税と社会保障の一体改革」といいながら消費税の増税だけを目論んでいるように見えます。が、生存権の保証されない社会で消費税率を引き上げることは、このような弱者の人々に死を宣告するようなものではないのかと思えてなりません。

セイフティーネットを確立するとは言っていますが、そのセイフティネットが現状の福祉行政の仕事として上乗せされるだけならば全く役に立たないどころか弊害にすらなりかねないのではないかという危惧を強く持ちます。

先日、生活保護を受けている人が受け取れる障害者年金を受給していないことがわかり、5年遡って数百万円を受け取る権利があることが判明したのですが、それをもらってしまうと生活保護が打ち切られてしまうだけではなく、その数百万円の年金もこれまでの生活保護費を返還するという名目で行政に取られてしまうと言うことで障害者年金の給付請求を保留しているという話を聞きました。

そんな馬鹿な!・・・と、思うのですが、私も以前不在者財産管理人の仕事をしたときに同じようなことを体験したので、それがこの国の福祉行政の現実のようです。

憲法考えると言うことは「弱者の保護を徹底的にイマジネーションすることだ」という先日の市民講座での話を思い出しました。

今日は、経審審査員研修会に参加するため昼から横浜行きです。

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