小関ブログ

『自己責任』の議論について思うこと

今日は曇り、夜は雨になるようです。
土曜、日曜の完全休養のおかげで少しは癒されたようですが、まだまだ疲労レベルは相当に高いようです。
イラクで起こった人質事件に関して「自己責任論」に関する議論が加熱しているようです。この件に関して与党の政治家からやや短絡した意見が出ていることは極めて遺憾であるという印象を持ちました。
確かに、海外における法人のリスク回避は、「自己責任」が問われる場合が少なくありませんし、特にイラクのような危険情報の頻度が高く、渡航自粛勧告がでている国に入る場合には、それなりの覚悟が必要なことは言うまでもないことだと思うのです。
しかし、そのことと政府の在外邦人保護義務とは決して混同してはならないものであり、今回のような場合に政府関係者があらゆる手段を使って救出のための努力をすることは、むしろ当たり前であるという前提が必要なのだと思うのです。
今回、その費用を被害者である3人に求償してもよいのではないかという議論があり、そのことが本人や家族の皆さんにかなりのストレスを与えているように思えるのですが、何年か前に問題となった外務省の「機密費」というのは、このような場合に支出されるべき性質のものではないのでしょうか。
事件後の家族の発言によって一部マスコミや一般視聴者などからのバッシングが起こり、やや感情論的にこの「自己責任」の議論が起こってきたのですが、冷静にきちんとした検証に基づく客観的な議論がなされることを希望したいと思います。
昨夜のNHKスペシャル「国連の苦闘」を見た限りでは、今、イラクで起きている混乱の主たる原因は、アメリカの一国主義による価値観の押しつけと、アメリカの利権を守るための親米政権成立に向けた「力による制圧」という占領政策の誤りにあるといわざるを得ないという印象を強くしました。
それも、アメリカの民意などではなく『ネオ・コンサバティブ』(新保守派)という現政権の中枢を牛耳っている人々のグローバリズム戦略とブッシュ親子の思惑による政策に基づいているいるようです。それが、アメリカ中心の占領政策を生み、国連を阻害し、米軍の指揮下においたことが国連事務所の爆破という悲劇を生み出したという見方もできそうです。
14日のアメリカの政策転換によってようやく国連主導による主権委譲作業が進められるようですが、このような混沌を深めているイラク情勢の中で、日本がどのように人道復興支援を展開していくのかが問われることになります。だからこそ、『自己責任』に関する議論は、短絡的に今回の事件をみるのではなく、復興支援における政府の取り組みとNGOやボランティアのあり方を含めて冷静で、客観的な議論でなければならないと思うのです。

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