小関ブログ

「自分は間違っていないという“独善”」

今日は曇で、ここ数日とは違う過ごしやすい陽気です。こういうときに身体の中に溜まった夏の疲れがど~っと出てきます。明日はまた暑くなるらしい・・・^^;
昨日の日経新聞19面の「経済教室」に竹中平蔵氏の「復古政治の跋扈許すな」という論文が載っています。新古典資本主義経済の急先鋒であり、元小泉改革の旗振り役らしい高尚なご意見ではありますが・・・

地方の疲弊は、経済がグローバル化し、また知識集約社会に移行したために、地方の産業・企業が競争力を失ったからに他ならない。

と一刀両断に斬りつけ、「これを解決できる『打ち出の小づち』の策はない。」としながら農業改革と一層の地方分権推進を訴え、「地方の疲弊は改革が不十分だからである。いま改革辞めれば日本経済は世界の中で競争力を失い、結果的に地方はますます疲弊する。」と、まるで脅迫まがいです。
「優しさとぬくもり」「きずな」などの表現はあくまで政治的スローガンだ。・・・と、きめつけていますが、この部分で、竹中氏の国民に対する冷酷非情なまでのイメージを感ざるを得ません。
私も21世紀型の社会システムを作っていくための「構造改革」は必要だと思いますし、復古的な公共投資の拡大や官僚主導の大きな政府に戻すことがよいなどとは思いません。が、しかし、このまま無反省に小泉改革を推し進めることで本当によいのかと思うのです。
問題は、この国の未来ビジョンを何も示さないまま始まった劇場型の「小泉改革」が果たして国民と国益にとって本当によい方向性をもっているのかを検証しなければならないことが先の参議院選挙で示された民意だと思うのです。郵政民営化にしても政府系公益法人改革にしても肝心の特別会計には手をつけず、一般会計予算の何倍もの膨大な予算が依然として官僚の手にあるのです。
公共投資による社会資本整備を目の敵にし、国民に「公共工事=悪」という誤ったイメージを植え付け、これまで地域経済の基盤を支えてきた地場建設業を閉塞させ、それに代わる基幹産業を育てないまま経済のグローバル化による市場経済至上主義に基づく競争政策だけを推し進め、地域社会の崩壊をもたらしていることが地方格差を生んでいるという見方も依然として多いことも事実なのです。
無反省に「改革続行」を力説する竹中氏の態度は「自分は間違っていないという“独善”」に見えるのは私だけではないと思うのです。

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