小関ブログ

ビジョンの示されない社会

今朝は、久々の晴れで、気持ちの良い青空が広がっていたのですが、いまはまた曇ってしまい、怪しげな風が吹いています。今日明日は、是非、崩れないで欲しいものです。
このところ、公私ともにバタバタの状態で、落ち着いて物事を思考する環境にないので、自分でもここで書いていることがつまらないことばかりだと思い、読者の皆さんには本当に申し訳ないと思います。
しかし、世の中全体が、どこか焦点がぼけているようで、毎日のニュースを見聞きしていても、筋の通らないことや、理不尽なことが横行していることばかりが目に付き、何ともやるせない気分になります。なんだか、一生懸命に生きることがあまり評価されず、刹那的、というかかなり短絡的に物事を判断しているような風潮ができているような気がしてなりません。
最近起きている殺人事件もきわめて短絡的な動機が多いようで、ゲーム感覚で人の命を奪っているのではないかと思えるニュースがおおような気がします。
20世紀型の規制社会やヒエラルキー型の社会システムの崩壊が進み、新たな情報化社会のシステムが拡大している中で、人々のよりどころとなる価値観がうしなわれ、その価値観によって培われてきたこの国の文化や意識が大きく変化していることがこれらの事象の裏側にあるのだと思われます。
情報化社会に適応した社会システムが拡大して行くにつれ、新たな価値が生まれ、それによる新た文化が規範を作っていきます。現在の事象は、そのことに関するビジョンが示されていないことに起因している。と、私は考えます。

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