小関ブログ

納得できない時効成立

今日の小田原は雨。昼過ぎには上がる予報です。しかし、10月の声を聴いた途端かなり涼しくなりました。体調管理をしっかりしようと思います。
先週金曜日は、朝から血液検査で午前中がつぶれ、午後からは新橋の浜離宮建設プラザでの建設産業史研究会だったので、尽語が飛んでしまいました。土日は例によって休まさせていただいているので、今日から10月の始まりです。
先週、28年前に犯した殺人を自宅の床下に隠蔽し、その建物を撤去するために自首をして“時効”によって刑事訴追を免れた人物に対する民事裁判で、損害賠償についても時効の成立を認められたことが話題になりました。今朝も報道をされていましたが、あの逆ギレには心底腹が立ちます。
しかし、この時効の成立には大いに疑問があります。28年前の殺人とはいえ、犯罪そのものが発覚していない状態で被害者は失踪扱いされてきたように報道されています。もしそれが真実であれば、犯人の自白によって犯罪事実が明らかになった時点から時効が開始するべきだと言うのが一般的な心情だと思えるからです。
犯罪が発覚しているのにもかかわらず、逃げ切ったというのとは訳が違うと思うのです。この犯人(?)は、少なくとも犯罪事実を隠蔽することによって、犯罪者であることを追及されることもなく、自分の家に住み続け、客観的には平穏(内心は別として)な生活を続けてきたわけで、全く社会的な制裁を受けずに来たわけですから、犯罪事実が明らかになった以上きちんと社会的な制裁を受けさせる必要があると思うのです。そうでなければ、社会がもつ正義・公正・公平感が損なわれ、秩序を保つためのバランスが崩れてしまうと感じています。

最近の記事

  1. てんめい尽語
  2. てんめい尽語
  3. てんめい尽語
  4. てんめい尽語
  5. てんめい尽語
PAGE TOP