小関ブログ

曖昧模糊とした感覚

今日は、今月6日以来久々の雨。乾燥状態が続いたので、ほどよい加湿になるでしょう。
この曖昧模糊とした感覚はなんだろう。2007年に入って、その感がますます強くなっている気がします。肉体労働の生産性を上げることによって豊かさを追及した20世紀の秩序が崩れ、IT革命、経済のグローバル化の進展による知識労働の生産性の向上を目指す21世紀型の社会秩序への移行の過渡期の中での“混沌”なのかもしれません。
これまでの常識が常識ではなくなり、安心をして生活をするための源である社会秩序(規範)が崩壊し、新たな社会秩序が確立されるまでの間の混沌。そんな漠とした状況にあるような気がしています。
アメリカ型の規制緩和の流れが格差社会を生み出し、あらゆる場面で格差が生まれ拡大しています。富が偏在し、経済成長が実感できない中で、生活保護世帯が増加し、働いているのに生活保護以下の所得しか得られない“ワーキングプア”の人々もまた増加をしています。
国民がこんな状況であえいでいるにもかかわらず、めざましい経済成長を続けている中国にいまだにODAを出し続ける日本。道路公団を民営化する決断をしたのに、まだ高規格の高速道路を造り続け、これまでに造った箱物といわれる公共施設の維持費(ライフサイクルコスト)が国や地方自治体の財政に重くのしかかり、夕張のような破綻自治体を生み出しているにもかかわらず、まだ箱物造りを続ける行政。変だ、変だと思いながらも一向に変わらない政治。
阪神大震災から今日で12年が過ぎ、町並みやライフラインなどのハード面の復興は成ったと言われていますが、元の生活に戻れない市民が多いようだという話も聞こえてきます。市民が全力で復興に取り組んでいる時期に開港した神戸空港は本当に必要だったのでしょうか。あの予算を復興に当てていれば救われた市民が沢山いたと思われるのです。
なんだか愚痴のようになってしまいましたが、今私たち日本人に求められるのは、新たな社会秩序を確立していくための理念であり、どんな社会を創っていくのかというビジョンだと思うのです。

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