小関ブログ

喫煙者の戯れ言

今日も晴れています。が、昨日のような真っ青な空ではありません。薄雲がかかって乳白色の空です。
気温は今日もかなり高くなりそうです(汗)。
今朝もニュースでやっていましたが、この時期、気温が急激に上がるので、熱中症に注意が必要なのだそうです。確かに、朝方は涼しいのですが日中は真夏日になるので、この気温差に体がついて行けず熱中症になるのだそうです。子供を車に置き去りするなどはもってのほかですねぇ。
今日も、Yahooニュースのトップで「喫煙、40歳男性で寿命3・5年縮める・・・厚労省研究班調査」という記事があります。本当に喫煙者の肩身はどんどん狭くなります。
最近ではどこへ行っても禁煙で、今まであった喫煙場所もいつの間にかなくなっています。まさに“喫煙者は不自由を強いられている。”という感を否めません。私は、ここでも何度も書いていますが、マナーを守らない喫煙者は嫌いですし、車の中では吸いません。さらには電車も禁煙車両です。が、煙草は吸います。


確かに疫学調査による統計では体に良くないことが様々に証明されています。吸っても何の価値もないのかもしれません。しかし、吸う、吸わないは他人に迷惑を及ぼさない限りあくまで個人の自由で、嫌煙権を主張するなら喫煙権も認めて欲しいと思うのです。
今流行の“メタボリック症候群”にしてもそうですが、予防医学の観点から注意を喚起することは全く問題はないのですが、生体検査の数値だけを見て若干高めの数値が出ただけで、“あんたは立派な○○病だ。”などと診断をして様々な検査を勧めることが果たして良い医療なのだろうか。
最近では“喫煙は病気だ”などと決めつける議論もあるのですが、短い人生で日々病気を気にして様々な楽しみや文化的な嗜みまでも制限をしなければならない人生が本当によい人生なのだろうか。と、つくづく考えさせられます。私は、若い頃からバーのカウンターに座って酒を飲みながら煙草の煙くゆらせている姿を“かっこいい”と思ってきましたし、現在も、“酒と煙草はセット”だと思っています。
吸わない人から見れば“バカみたい”かもしれません。が、自分ではそれでよいと思っています。でも、煙草が吸えない社会になればやめざるを得ないですねぇ(悲)。

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