小関ブログ

“混迷”が見えてきたような

今日も曇の朝です。寒いです。午前中雨が降る予報ですが、今のところ雨は落ちてきません。

もう、あと今日を含めて3日で1月も終わりですが、今年初めにここで書いた“混迷”が今年のキーワードかも・・・という状況がすでに見えはじめてきたように思えます。

小泉内閣の頃に、この国のビジョンを示すことが必要ではないかと書きましたが、その後の安倍、福田政権と選挙を経ない内閣が2期も続き、さらに、ビジョン的な政策の発信が弱まり、今年に入ってからは、“構造改革”はどこへ行ったのかと思えるほど“族”議員の復活が目立ちます。

道路特定財源の一般財源化の議論も必要なのでしょうが、それ以上に、急激に少子高齢化が進み、活力を失いつつあるこの国をどうすれば持続した安定的な社会に持って行けるのかといった、将来的中長期のこの国のビジョンを示し、そのために今何が必要で、何をすべきかという戦略的な議論が決定的に足りないように思えます。これまでと同じことをしているならばこの国は、活力を失い、グローバル経済の中で取り残され、疲弊していくだけになってしまうように思え、危機意識に苛まれます。

疲弊するだけならともかく、食料、エネルギーの海外依存率が異常と思えるほど高いこの国で、経済が弱小化することは、すなわち、明日の生活にも困窮することに直結します。政府は、「まだまだ日本経済の底力はある」とか「日本の金融資産は1500兆円もあるのだから大丈夫」とかいいますが、“安心の安売り”のようで、国民の不安は高まるばかりです。

「消費エネルギーのないまま景気が浮上することはあり得ない。」と多くの経済学者が言います。確かにこれまでの一国経済とグローバル経済は違うのかもしれませんが、消費エネルギーが経済活力の源泉であることは変わらないのだと思います。だとすれば、一刻も早く、時代の変化を見定め、将来的な不安を緩和し、社会に活力を与えるための“ビジョン”を示すことが政治に求められていると思うのです。

個別の問題を政争の具にして与野党で争っている限り、“混迷”はさらにその度合いを深めていくのだと思います。

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