小関ブログ

「自己責任議論」が止まらない

昨日の嵐のような雨と風は収まり、今日は多少雲が多めながら晴れています。
昨日の参議院予算委員会で自民党柏村議員の口から「人質事件の被害者は“反日分子”である」という言葉が飛び出し、さらに“公務執行妨害的”であるという発言もあったという報道がなされ、今朝のテレ朝“モーニング”に当の本人がでていましたので、思わず聴いてしまいました。
しかし、彼の議論は、ほとんど正確な状況を把握していない憶測に基づくもので、この自己責任議論に便乗した売名的なものであるという印象を強く持ちました。何という不見識。こんな議員がいることに強い嫌悪感を感じますし、“参議院は、良識の府”などという言葉が空疎に思い出されます。
それにしても、今回の“自己責任”の議論は、何かが違う、問題のすり替えがあると思えます。要するに、人質事件の犯人グループが、声明を出して“自衛隊の撤退”を迫り、人質の命に対する危機を回避するために必死の思いで家族が発した「自衛隊に撤退してほしい」という言葉が、政府の琴線に触れたのでしょう。
もし、被害者の「自己責任」をいうのであれば、人質救出のために日本政府が何をし、どんな効果があったのかを明らかにするとともに、その費用対効果を具体的に検証しなければならないと思うのです。特に、逢沢一郎外務副大臣がなぜイラクに入らずアンマンにとどまっていたのか、そしてそこで何をしていたのかに関する情報は公開されるべきであると思います。
今提起されている「自己責任」問題は、今回のイラク人質事件だけにとどまらず、今この国の方向性として議論され太い流れとなりつつある「事後救済社会」の拡大によって我々国民一人一人に問われてくる「自己責任」と決して無縁の議論ではないのです。それどころが、これまで曖昧な概念のもとに使われてきた「自己責任」という言葉の意味が「行政による費用の求償を伴う責任」という風に概念された場合、この社会がどのような影響を受けるのかについてきちんと考える必要があるのだと思うのです。

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