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2004.01.30

『反省』が出来ていない反省

今日は薄曇り。ほのかに青い空です。外気温は7℃。今週初めまでの冷凍庫並の気温から冷蔵庫気温に戻ったようです。
今朝、桃知さんの店主戯言で、村上泰亮の『反古典の政治経済学要綱』の話が書かれていたのですが、まさに、経済学の素養の全くない私にとっては難解きわまりないもので、『つまりこの文字の威力は、睡眠薬のような効果を持っている。』という言葉通りで、1ページ読んでは睡魔に襲われ、未だに30ページほどしか読めていないのです。桃知さんの言葉でぐさっと来たので、反省の弁です。
確かに、経済学とは、「人の営みを律する学問」として発展してきたわけですが、そこにある思想や考え方を理解するためには、社会科学や生物学的な思考方法を身につけなければ理解できないものがあると思うのです。
『自己言及→自分探し→わたしはなに?→そして自己と世界イメージとの兼ね合い→ことばでの意味づけ。』この流れの『反省』が出来ていない自分を反省し、自分にカツを入れて、『反古典の政治経済学要綱』を読み切れるようにしたいとは思うのですが、その前に読むためのスキルを身につけたいと思うのです。
そのために、まずは、社会心理学者である山岸教授の『信頼の構造』を読了し、咀嚼してみたいと思います。
今日で8ヶ月、Ozeki−Letterを毎週金曜日の定期発行を1回も休まず、[35号]を発行してきましたが、小関ミームの弱さを痛感しています。思えば、この自分の厚みのなさがその原因となっているような気がします。つまり、まだまだ勉強が足りないということなのでしょう。“オピニオン”或いは、“プロパガンダ”としてこの行政書士という業界でのチェンジ・リーダーを目指してきたのですが、今後は、さらにミームの重みとしての人格を磨かなくてはならない。と、思うのです。
『日々、勉強。これあり。』です。
と、意気込みはいいのですが、このところ目の疲れが気になってはいたのですが、今朝のTVで、PCの使いすぎや近眼の進行によって副交感神経が痛められて、自律神経が冒され、“根気がない”、“やる気がでない”などの症状が出ている人が増えている。という話があり、自分にもそういう症状が当てはまることを自覚しました。目は、大切な機能を持った器官です。気をつけたいと思います。

2004.01.29

建設業法施行規則の改正

今日も青空が広がっています。今週初めまでの寒気団は去ったようで、昨日同様さほど寒さを感じない朝です。
山岸教授の『信頼の構造』を読み進めていますが、難解な上にいろいろなアプローチの仕方をしながら検証した考え方を書いているので、なかなかページが進まないのが実情なのです。ですが、だんだんと今まで見えなかったことが見え始めているような気がしています。
ところで、今日と明日の官報に建設業法施行規則の改正条文が掲載されます。
改正の主な内容は、今日付の日刊建設通信新聞の一面に詳細が書かれています。それによると、今回の改正は、経営事項審査とその一部である軽状況分析に関わるもので、申請様式の変更に加え、経営状況分析の審査機関が、公益法人改革の中でこれまでの「指定機関」から「登録機関」に変わることによる「Y審査」の厳正性、公正性を確保するための審査基準を定め、審査機関から国土交通大臣への報告義務を規定した。ということのようです。
施行規則の施行は3月1日からということなので、経営状況分析の「登録機関」の登録手続は、2月中に行われることになると思われるのですが、どんな機関がどれだけの数登録されるのかについては、今の段階ではまったく情報がないので分かりません。“会計事務所”(税理士)の問い合わせが多く来ているという話は聞いたことはあるのですが、個人の事務所が手を挙げても登録機関としての認定を受けられるのかはまったく不明です。
審査方法としては、Y(経営状況分析)が登録機関(民間)の審査となるため、X.Z.Wの部分をこれまでの経営事項審査という呼び名から“経営規模等評価審査”に変え、Pをこれまでの総合数値から“総合評定値”にかえて、これらの手続の総称を“経営事項審査”としたようです。
なんだか、複雑な手続になったような印象ですが、申請者側の手続的には現行とあまり変わらないようにした。とあります。とはいえ、経営状況分析の申請先が複数の登録機関の中からの選択になることや、これまで、経営事項審査結果通知書に自動的に記入されていたP(総合数値)が、“総合評定値請求書”に記入しないと算出されてこないなど、注意しなければならないことも多くなるようです。

2004.01.28

信頼の構造

今日は、すっきりとした青空が広がっています。外気温は不明(チェックを忘れた!)。でも、それほど寒い朝ではありません。
先週土曜日の桃知新春講演会のメインテーマ(たぶん)であった『信頼と安心』についての理解を深めるため、早速山岸俊男(社会心理学者)の著『信頼の構造』(東大出版会)を購入して読み始めました。
村上教授の『反古典の政治経済学要綱』もそうであったように、桃知さんの話のベースとなっているだけにかなり難解な本の一つではあります(笑)。が、下地があるので、何とか読みこなせそうです。
1回通読をしてみないことにはきちんとしたことは言えないのですが、昨夜読んだ範囲だけでも“目から鱗”の部分が結構あったので、これは徹底的に読む必要があると感じています。
普段何気なく使っている“信頼”という言葉の意味の深さに驚かされます。

『社会的存在としての人間にとって、信頼は非常に重要な意味を持っており、社会科学や人間科学のほとんどすべての分野で研究されている。信頼についての研究が行われている学問分野の名前を思いつくままあげただけでも、心理学、社会心理学、社会学、経済学、政治学、法学、文化人類学、経営学など、社会科学や人間科学のほとんどすべての分野にわたっており、これほど多くの分野で研究されているトピックはほかに思いつかないほどである。』(P11)

と、山岸氏自身が驚くほどなのです。が、『しかし、それほど多くの学者がこれほど多くの学問分野で研究を進めているにもかかわらず、残念ながら、信頼についての研究の現状は不十分な状態にあるといわざるを得ない。』というほど奥が深いものだと言えるのかもしれません。
なので、浅学非才な私の脳がこの本の内容を咀嚼するためには、かなりの時間を要しそうですが、今はとにかく1回目の読了を目指して頑張りましょう。

2004.01.27

ちゃんとやれマスコミ!

今日は曇り、真っ白な空です。外気温は3.5℃でした。
今朝、起き抜けに昨日のTVタックルを見た家人が『年金の資金運用で3兆円の赤字を出しているのに、責任をとるどころか担当者3人の給与が4千万円も出しているというのは、どう考えても許せない。日本のマスコミはなぜこういうことを追求しないの?』と、えらくご立腹でしたが、まったくですねぇ。
民間で株式運用に失敗して大赤字を出せば、その責任は当然追及され、最悪解雇ということになるのでしょうが、国会で共産党の追求を受けた小泉総理は「株式の運用にリスクがあるのは当たり前」と開き直ったそうです。しかし、そんなことをほっておいて年金制度改革で国民への負担を増やし給付を減らすという議論をされても納得できるわけがありません。
“改革”というのは、まずこれまでの制度の裏で溜まった膿を出し、透明性の高い制度、システムに変えていく作業だと思うのですが、そこには蓋をしてしまい、情報開示どころか、国会での追及に開き直るというのでは、“改革”など出来ようもありません。雇用能力開発機構の雇用保険を使った高額施設の投げ売り問題や、郵貯からの財政投融資で焦げ付いている省庁・外郭団体への不良貸し付け回収問題、そして、年金資金運用の失敗による巨額の赤字問題とあげればきりがないほど多くの問題が、誰の責任も追求されないまま“改革”の名の下での制度・組織の変更によってうやむやになっていこうとしてるように見えます。
一方で、ほとんど税金によってまかなわれている“議員年金”のW受給(地方議員と国会議員)問題は、やっと“これから検討する”段階のようで、現役議員の年金はこのままの状態が続くようです。それに高級官僚の天下りによる退職金問題もそのままになっているようです。
こんな社会でいくら道徳を説いても浸透するわけがないような気がします。この点では、日本のマスコミのあり方は、問われなければならないと思うのです。今朝も、経歴詐称疑惑を追及されている民主党古賀議員の街頭演説生中継をはじめとする報道が盛んに行われていますが、そんなこととはいいませんが、ほかにもっと国民にとって必要な情報の提供の仕方があるのではないかと思うのです。
今日はまだまだ、この件に関しては書きたいことはあるのですが、午前中に1件クライアント会社さんとの打合せが入っているので、ここまでにしておきます。続きはまたの機会に書いていきたいと思います。

2004.01.26

桃知利男 賀詞交歓会

今日も青空です。外気温も変わらず1.5℃。そろそろ湿り気が欲しいですねぇ。
一日が長いといいながらも1月も最終週に来てしまいました。年が明けてから特段の変化の兆しはなく、きわめて平穏な日常がすぎています。が、見えないところで大きな変化が起こっているような気がしています。
先週土曜日は、桃知さんの新春講演会と新年会に浅草まで行って来ました。午後1時に来客があったため、講演会には1時間遅れの参加となってしまいましたが、約1時間の聴講でもかなり内容のある話で、大いに勉強をさせていただきました。ただ『信用・信頼と安心』の話(たぶんあの講演のメインテーマ)については、彼の話のベースとなっている山岸教授の本を読んでいないので、まだまだ十分な理解ではない自分を自覚しました。
浅草ビューホテルでの新年会は、たぶん100人近くの方が全国から参加されていたと思うのですが、桃知利男という個人名で、あれだけの賀詞交歓会をやってしまう彼のパーソナリティに感服させられました。
講演会から新年会まで2時間も時間があったので、埼玉の小栗さん新潟の小川さんを誘って久々に浅草フラワー通りにある『捕鯨船』という鯨のお店で軽く飲んでから会場に向かったのですが、会場には、全国から垂涎もののお酒が集まっていたので、その近くに陣取って、大いに堪能してきました(笑)。
しかし、普段、毎日のようにネット上で発信されている情報を読ませていただいている皆さんとのF2Fでの出会いと語らいは実に楽しいものでありました。そこには確実に“自分で情報を発信する・自分で情報を取得する・自分で情報を利用する”というインターネット精神文化が息づいていました。まさに、桃知利男という人物の求心力によって集まった人々のコミュニティが形成されて“信用と信頼”が培われている様を見たような気がしています。
見方によっては、“桃知教団”のように見えなくもないのですが、多くの皆さんがきわめて自律的で、決して教条的に桃知理論を受け入れているのではなく、それぞれがその論理を咀嚼して日常に活かそうとしていることに感動させられます。そして、その“場”に自分が参加できたこと、その“場”を提供してくれた皆さんに心より感謝です。
もらったエネルギーを活かして今週も頑張りたいと思います。(轟さんはじめ、二次会、三次会で夜遅くまでおつきあいいただいた皆さん、お疲れ様でした。そして有り難うございました。)

2004.01.23

どうなる、代理出産の出生届

今日も乾燥した晴天が続いています。出勤時の外気温は1.5℃。冷たい風がびゅんびゅんで体感的には肌を刺すような寒さです。
今朝のTVニュース番組で、昨日元プロレスラーの高田延彦氏とタレントの向井亜紀さん夫妻が、アメリカで代理出産した双子のお子さんの出生届を居住地の区役所に提出したが、役所側が受理を保留したというニュースがありました。
一見芸能ニュースのようですが(TVではそういう扱い方でした。)、ことは国籍法、戸籍法の問題なので、職業的関心を持たざるを得ません。
向井さんが数年前の妊娠時に子宮ガンであることが分かり、子宮を全摘出しているので、夫婦の精子と卵子を受精させ、代理母の子宮に入れて妊娠・出産という形をとらざるを得なかったという事情はよく理解できますし、“代理出産”が日本では認められていないのでアメリカでの代理出産を選択せざるを得なかったことも理解できます。
なので、受精されたDNAは、明らかに日本人の夫婦のDNAを受け継ぐものなのだから日本人の夫婦の子として認定しても問題はない。と、私自身は思うのですが、現在の日本の法律の建前は、実際に出産した女性を“母”とする考え方が通説となっているので、この場合、向井さんを母とする出生届はたぶん受理されないであろうというのが大方の見方のようです。
今回、このような問題となったのは、芸能人であるが故に公表をせざるを得なかった。従って、正攻法で手続を進めているので、正規の判断を要することになったというコメントがありましたが、実際、一般人の場合には、密かに行われるので、役所も事情を把握していないので、代理出産でも、日本人の母の子として出生届が提出されれば、そのまま受理されてきたようです。
これから出生届を受け取った区役所は、法務局にお伺いを立て、法務局は法務省に伺いを立てて法務相が結論を出すことになるのですが、どういう議論をし、どのような結論を出すのかについては、大いに関心を持たざるを得ません。
少子高齢化へまっしぐらの日本社会にとって、子の出生は大事な問題です。生みたくても生めない夫婦が少なからずいるという話をよく耳にします。従来の思考にとらわれず、原則は原則としてもきちんとした議論のもとに例外を認め、柔軟な対応が出来る社会になることを望みたいものです。

2004.01.22

素朴な疑問

今日は、すっきりとした青空です。外気温は昨日と変わらない気温でしたが、風があり、体感温度はかなり低いようです。
昨日国会が始まり、代表質問での民主党の菅代表と小泉総理のやりとりが報道されていましたが、自衛隊のイラク派遣部隊の本体が出発しようとしているこの時期での意見論議を持ち出す菅代表にもそれをはぐらかす小泉総理にも“何かが違う”のではないかという印象を持ちました。まぁ、フリーハンドでの代表質問に挑戦した菅代表の姿勢はそれなりの評価をされてしかるべきだとは思うのですが。。。
ところで、航空自衛隊の派遣部隊の移動に政府専用機が使われるという報道があり、福岡空港で待機している政府専用機の映像もありました。が、ここで大きな疑問を感じました。この間の先遣隊の移動に民間機を利用したこともそうですが、なぜ自前の航空機(輸送機)を利用しないのでしょう。専守防衛という建前から航続距離の小さな航空機しかないのでしょうか?
陸上自衛隊の先遣隊の使用する軽装甲車などの機材もロシアの輸送機が運んだことも疑問です。それもこれも自前の航空機が撃墜されてはいけないというテロ対策なのでしょうか?もし、そうだとしたなら、それこそ世界の笑いものになってしまうように思われるのです。いずれにしても、イラク復興支援の名の下に湯水のごとく無駄な費用が使われていく。。。そんな風に感じて、これらの報道を見聞きしています。
ところで、1月16日に開かれた政府の経済財政諮問会議で発表された『構造改革と経済財政の中期展望ー2003年度改訂』という文書を首相官邸からダウンロードして読んでいます。政治的な文章なので、今の政府に都合の悪い書き方はしていませんが、以前のものに比べて難解になったような気がしています。
その中で気になったフレーズは、「・行政サービスの民間開放に当たって障害となる制度や規制を改革する。」ということが、我々の制度にどのような影響をもつのかという点と、「・建設業をはじめとする地域の基幹産業における事業転換など経営革新を推進する。」ことが、具体的にどんな施策に繋がるのかという2点なのですが、「建設業における事業転換」とは何を指し示しているのかは是非とも聴いてみたいと思うのです。が、もう少しきちんと読んで疑問点を整理してみたいと思います。

2004.01.21

電子政府はどこへ行く?

今日は曇り。外気温は4℃でした。二日連ちゃんで相当量の酒を飲んでしまったので、今朝は家人から“酒臭い”と総攻撃を受け、少々へこんでいます。ハハ。。。ハァ^^;
今朝、メールチェックをしたら、あるMLで1/18の日経新聞の電子政府に関する記事を紹介してくれていました。読んでみると、日本の電子政府づくりは、利用者の視点が後回しになっており、国連が昨年11月に発表した“電子政府ランキング”では、日本は総合評価で18位にとどまっているそうです。
このところ、日行連の農林建設WG委員として国土交通省の汎用受付システムや、電子入札等の関係で担当官の説明を聞き、代理申請システムなどの折衝したりしてきたので、何となく違和感を感じてきたのですが、やっぱり、官主導で国民の側に立ったシステム作りという観点が欠けているようです。
問題は、国が電子政府づくりにしゃかりきになっている割に、自治体レベルではほとんどそれに連動した動きが出ていないために、中央省庁の直轄の部分だけだけが先行状態なので、多くのj自治体経由の行政手続の電子化が進んでいないので、非常にわかりにくい状況にあることや、公的個人認証という非常に厳格な本人確認にこだわっていることにあるようです。
本人確認については、アメリカではID・パスワード方式を採用してる例が多いようなのですが、日本では、“住基カードのICチップに電子証明書を書き込んでもらい(3年間で500円)、専用のカードリーダーを自分のPCに接続して読みとる方式になっているので、国民の負担が現状では1万円前後かかってしまうので、住基カードの普及は今年の3月末で80万枚にとどまる見込みだそうです。
記事の中に「米国などがとりあえずやってみようと考えたのに対し、日本は厳密な本人確認を求めました。日本の公的個人認証は世界最高水準の技術ですが、普及しなければ世界中の笑いものになりかねません。」という東工大の大山教授のコメントがありますが、実際、世界最高水準のIT投資をしながら“笑いもの”になったのではしゃれになりませんですねぇ。
それでも、総務省の担当官は“2年後には世界のトップに追いつくことが出来る。”と強気の発言をしているようなので、かなり強引に電子政府の立ち上げをしていくようです。いずれにしても、来年には電子政府が実際に動き始めるわけですから、このままでは、システムのハード部分だけが先行し、国民(利用者)にとっては使いづらいシステムになってしまいそうです。

2004.01.20

昨日の一日

昨日の雨は午前中のうちにやんで、今日は晴れています。日中は暖かくなるようですが、朝の外気温は2.5℃でした。
昨日は、午後から国土交通省に行き、日行連農林建設WG委員として来週出される経営状況分析及び企業規模評価申請書(両方をあわせて経営事項審査)様式の変更に関する国土交通省令の説明を受け、その足で、横浜で行われた神奈川県行政書士会の賀詞交歓会に出席し、その後場所を変えて新年会をやってきました。
国交省へは、様式の変更に伴い行政書士としての意見を聴いてもらうためにいったのですが、すでに来週29日の官報に掲載される段取りまでいっているので、完全に省令としてまとまっている段階で、一字一句変えることが出来ないということで、意見は言ったものの、今後の事務連絡等で、趣旨をくんでもらうということしかできませんでした。
賀詞交歓会には1時間30分ほど遅れて入ったので、来賓の国会議員の方々や松沢知事らの挨拶はすでに終わっており、懇談のさなかであったので、会場内を一通りまわって多くの会員の皆さんと新年の挨拶を交わさせて頂いてきました。その間に、多くの皆さんからOzeki-Letterを読んでいるとお声かけいただきました。心から感謝です。
その後の気の置けない仲間の皆さんとの新年会では、大いに酒を酌み交わし、いろいろな話をし、楽しい時間を過ごしてきました。
今日は、午前中に先週金曜日に他界された小田原支部会員行政書士の告別式に参列し、午後からは東京新橋の浜離宮建設プラザで開催される建設産業史学会に参加してきます。

2004.01.19

25年ぶりの映画館での映画鑑賞

今日は、朝からしとしとと冷たい雨が降っています。外気温5℃。
今日19日は、私の51回目の誕生日なのです。いよいよ本格的に50代の仲間入りです。去年50歳になったときには、結構自分の中では抵抗感があったのですが、今日は素直に50代を受け入れています。まぁ、抵抗しようがありませんものねぇ^^;。
昨日は、午後から息子殿と連れだって、ヴァージンシネマで「ラスト・サムライ」を見てきました。何しろ、映画館で映画を見るのは25年ぶりという奴なので、行くまでが大変でした(行こうと言い始めたのは正月休みですから。。。笑)。
「ラスト・サムライ」は、テレビで渡辺謙が、“武士道”について熱く語っているのを見て、新渡戸稲造の“武士道”を読んだものとしては、是非見ておかなければならないと思い、久々の映画館での映画鑑賞となったわけです。
しかし、映画館も変わったものだということで、まず驚きました。小田原のヴァージンシネマは、わりと新しいのかもしれませんが、私の頭の中にあった“映画館”というイメージはほとんどなく、こざっぱりとしたセンスの良い雰囲気のメインロビー(2F)があり、通路も広く、座席もゆったりめで、肘掛けの飲み物をおくカップホルダーがついているというサービスの良さで、なかなか居心地の良い空間でした。
映画の方は、画像や俳優の演技はそれないものがありましたが、明治新政府が舞台となっているのにもかかわらず、歴史的には通常の理解を超えた設定や、あの時代にしては、やたら英語に堪能な日本人がいたり、やっぱりアメリカ人がつくったアメリカエンターテーメントだなぁ。という感想でした。
ただ、昔の日本人の“武士道”という世界のまじめさ、奥ゆかしさ、礼儀の正しさ、尊厳のようなものはそれなりに表現されていたので、この映画によって、“グローバル武士道”が学問として成立しはじめているというのも理解できるような気がしました。が、これを見た日本人のどれだけの人が“武士道”によって培われた“道徳心”や礼儀”などの社会規範を理解できたかは、大いに疑問ではあります。

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